すっかり、大林映画、連日みてる。心の栄養補給にいいよ。
でも、気になっているのが「世間の評価」と「実際見た印象」のギャップだね。
大林映画の場合、私がいいなと思った「廃市」とか評価が低い。
それで、この「天国に一番近い島」なんかかなりビリのほうになってる。
えー。そんなにダメか?と思って観たんだけど。
自分には、これでも十分いい映画だったよ。原田知世がもっと下手かと思ったけど、セリフは普通に言えているので。
他の役者もそれなりに普通に違和感なく演じているし。
もっと、素直に映画自体を観ろよーって思うね。原作と違うとか……言うな。
そもそも原作通りに映画化なんて無理なんだから。文字を立体映像にするのは。
映画自体はニューカレドニアを日本人に知らしめて、大ブームを起こし、主題歌も大ヒット。少女アイドル映画としては大成功の映画だった。この時の自分は角川映画は「野生の証明」「戦国自衛隊」ぐらいで見なくなったので、逆にぜんぜん知らなかったのよ。CMの予告編だけね。
なんで、初めてきちんと見たわけ。いやあ、ニューカレドニアの澄んだブルーの映像はこの時代のフィルムでは色が悪いんだけど、多分現在の4Kハイビジョンにしたら、もう涙モンのビューティフルになるだろうが、それでも、十分美しいよ。
チープなアイドル映画という酷評が多かったようだが、これ自体普通に見ても大林ワールドの素敵さが十分出ていて、観てて嫌味がないんだよね。素直な恋愛。
ボーイミーツガール、これは逆かガールミーツボーイ。の今どきの恋愛ドラマや映画にはまるでない、きれいで明るい、男女の恋があって。
主人公の16歳の少女が、父の死をきっかけに「神様のいる島」ニューカレドニアにツアー旅行に出かける。ここで機内のお姉さんから「軍資金いくらよ」ってゼニゼニの話になるのが、キモいんだけど。まあ、女の現実的な感覚を言ったのかな?自分はこの時点でちょっと幻滅した。
けれど、ニューカレドニアについて街を自転車で散策していたら、たまたま果物を運ぶトラックの荷台から転げ落ちたヤシの実につまづいて転倒して「だいじょうぶですか」と出てきた少年が高柳良一なんだけど、この素直で素朴でたどたどしい青年との出会いが、もう、楽しいね。でもこの時点で、少女の心にこの青年がインプットされるわけだ。
ただ、まだ彼が恋人かの認識がないから、彼女は青年の送る申し出を断り一人でホテルに戻る。
今度はツアー同行中、突然割り込んできた峰岸徹が演じるガイドに誘惑されて二人で彼のツアーに出かける。峰岸はプレイボーイを演じ、たちまち彼女をぐいぐいデートに誘って、肩を抱くようなシチューエーションまで持っていく。ちゃんと最後絶景のスポットを二人だけで一緒に見るシーンに持って行くね。うまい。うまい。
この峰岸のナンパ・口説きのすばらしさは、私の恋愛・結婚相談でも十分レクチャー教材に使えます。見習ってほしいね。世の男性も。
でも、少女にとってはペース早いし、戸惑いがあるわけです。押しの強さに少女がすっかり魅了されたところだったが、峰岸は「こいつ脈ないな」と察知し早々に彼女を「捨てる」この辺が見事に描かれてる。え?俺にはそう見えた。
峰岸は少女が願っていた「父親がかつて言っていた島」を探すのに手伝うが、彼が意図した島は少女の勘では違っていた。
その際、峰岸が口説くストーリーが「サンセットビーチの緑色の線が最後見えた女」という条件で、この緑の線を見た女性が峰岸の前妻だったんだな。
少女は、峰岸に見放され、はじめて本当に付き合うべきだった男が最初の青年だったと気づく。そして無心に彼の存在を探そうとするが住所も知らず見つからない。
そんなとき、市場を散策していたら、ひょっこり、またあの青年に会えたわけです。それで青年に島の話をすると可能性のある島を教えられるが行くには船しかなく便数も極度にない、でも青年のコネが島の有力者にあるから無事その日のうちに船にのり1日かけて島にたどりつく。そこは、まさに天国の世界のように白いパウダースノーのサンゴ礁とマリンブルーの海が広がる場所だった。でもその日の夕方には船に乗らないと帰国に間に合わない。
ところが、はしゃいだ少女は海でエイに刺され、村人たちに看護されることに。そのせいで帰りの船に乗れず、戻ったら、みんな先に帰ったあとだった。再度飛行機に乗るには1週間の滞在延長。それで今度は青年の実家の農場に住まわせてもらう。
神様がまさに青年と会って一緒にいられるようミラクルを起こしたわけです。
青年は、下心もへったくれもなく、よくある田舎の親切な人として彼女を家族の家に泊める。けれど、日系三世の彼の実家は貧しく、ふろは泥水のドラム缶風呂というありさまです。ここで少女の血の気が引く「こんなうちで暮らすの?」まあ、普通の女の子ならドン引きだよな。
でも、青年と一緒に農場を歩いていたとき、彼が巨木を倒すのを一緒に苦労して手伝う。このシーンが好きでね。
こうやって、どんどん、二人で共同作業していく。男と女が出会って本当の恋愛や結婚をしていく大事なプロセスを、さりげなく大林監督は見事に描いています。
で、彼との別れの日、彼女の滞在先に青年は自分が日本にいつか行こうと思っていた貯金のお金を封筒に入れ「コレデ日本ヘカヘッテ、クダサイ。太郎」と手紙とともに、さりげなくプレゼントする。
ホテルの部屋で届けられた自分のバッグから何気なく取り出した封筒から、ころりとサンゴの貝が転がって、手紙とお金が出てきます。
一番貧乏な彼が、一番大事なものを惜しみもなく彼女にあげたわけです。そこにある気持ちは「あなたが大好きです」……だよね。
そこに真実がありますよね。愛の。
人間、自分を投げ出すところに本当の愛があります。
これが彼女の心にズキーンと響くわけです。
いやあ、いいシーンだよ。今どきこういう恋愛ないですね。
男も女も恋愛で計算しかしないよ。みんなロボットやコンピューターになってしまった。
そして、彼女は「わるい、返さないと」って、もう一度島に急いで戻ります。
彼に、お金を返し、美しいパウダースノーの砂浜で、紙芝居をしてもらう。
そこで、二人はお互いが好きだということを言うわけです。
その言い方もよかったね。
彼が紙芝居を読んだ後、少女はだまります。
「お姉さんどうしたの」一緒に見ていた子供が言います
「あたし、みつけました」
「ん?」
「みつけました。あたしの天国に一番近い島。ここです。……それは……ここです。今、私の目の前にあります。今、太郎さんと私の目の前にあります。ここが私の天国に一番近い島です。」
「ありがとう。まりさん。僕も見つけました。僕のニッポンをみつけました。僕のニッポン、それは、まりさん……あなたです。」
「太郎さん…」
「まりさん…」
この呼びかけだけで「愛している」ってお互い、言ってるからね。いやあ、涙出るわ。大林監督の表現力すごいね。
「ありがとう…」少女
「ありがとう…」青年
そして、この2言でふたりは結ばれましたね。
この辺の、ふたりの間合い、空気感、たどたどしいセリフの中に、ちゃんと「愛している」という言葉がこめられている。この抒情的な描き方が大林さんのすごい所なんだなあ。
いちいち、説明して言わないとわからない、現代の皆さんと違って
「直接言わないけど、好きなのよ」
という……こういう人間らしい姿が……いいよね。
ふたりは神の島で結ばれたわけです。いいなあ。
純愛ドラマの王道じゃないか。
あと、途中で少女は峰岸の元妻と偶然にパーティで会います。そこには峰岸まで来る。元妻は峰岸と大ゲンカを始めます。でも、少女は彼女にそっと「私も峰岸さんが好きでした。でも、彼が本当に好きなのは奥様です。彼は緑色の線が唯一見えた女性はあなただけしかいなかった」という真実を伝えます。
元妻は峰岸と再度会い「昔のわたしはバカだったわ。少しは賢くなって帰ってきたのよ」=「ごめんなさい」と言ってるわけです。そして峰岸と再度仲直りして一緒にニューカレドニアに残ります。
ここに「ごめんなさい」「ありがとう」
人生を幸せにする、2つの数珠玉のことばが込められています。
大林映画の特色は、一見平凡でつまらなさそうな展開の中に突然「人生の機智」「数珠玉の宝石箱のようなことば」がセリフで言われることなんですね。それを聞いたときに、はっとして、心が熱くなりますね。
で、この映画のよさがなぜ?……みんなわからないのですかね?
思ったんだけど、やっぱ、そういう人の心の機智というか、抒情とか、わからない人が増えたのではないかと感じましたね。
そういう人からすれば、この映画は退屈で安っぽいアイドル映画にしか見えないのかもしれません。
ということで、みなさんの評価が低い大林映画のほうがきっと、逆に名作なんだろうな……と思いましたよ。