いやあ、ショパンコンクールもダメになったよ。「じゃあ、武田さん、どういう演奏がいいの?」幸い、私が聴いているピアニストの録音、映像は今の時代だと聴けたり見れたりするんだよね。
これは、私が大好きなピアニストのひとり、ルーマニアの英雄でわずか33歳で死んだ、ディーヌ=リパッティのショパンのピアノ協奏曲第1番の演奏。
聴いてみそ。今のピアニストとの違いが歴然としている。
指が回るとか上手とかじゃなくて「音楽性」だよ。
あの、現代のコンクールの人のショパン聴いていると「すごいけど眠くなる」んだ。
でも、リパッティのこの演奏一つ聞いても「音が澄んでいて、情熱かと思えば、おだやかなせせらぎであったり、ハープのような伴奏で歌が歌われるような、タッチの音なんだ。一音のアタックに意味があって、それが心の琴線に響いてくるんだよ」
こういう演奏が、今、ほんとなくなってるんだ。
ただ、弾いてる。すごい。軽業師。そういうのばっかりなんだよ。
でも、技巧だって昔の人すごい人いっぱいいるんで。
技巧も大事なんだけど、音楽だから。
その演奏に、その人、心、たましい、音楽がなかったら、ダメなんだよ。
って、こういう話ね、本当はね、東京芸大の学生や院生が、カフェで何時間でも話していなければいけないことなんだけど……しないそうなんだ。
俺の知り合いで亡くなったけど、永富正之先生ていたんだけど、あー、簡単にいうと、彼は、東京藝大でパリに留学して芸大のフランス流派で学んだ一人。
先生が高浜虚子の息子の池内友次郎の弟子だった。
最後は芸大の教授から付属高校の校長をなさって、その後は桐朋や聖徳の講師されていた。
彼と駒場エミナースのカフェでお会いして話したとき、俺が「ショパンの英雄ポロネーズの最後の音なんですが、彼は戦争賛美どころか戦争は愚かだと皮肉ってる音ですよね」と自分の音楽論を話していたら「そうだね」と顔を輝かせて楽しそうにされていた。
で、「あれ?芸大生ってこういうこと話さないんですか?」って言ったら
「しないよ。同窓生が集まっても、やれ、どこのケーキ屋のケーキはおいしいとか、そういう話ばかりですよ。誰も音楽について話さない。議論もしない」
……は?って思ったね。
今の若い人たち……俺がこの言い方するの嫌だけどな。
たとえば、文学とか読んで、その小説の話とか、作者とかで「自分の考え」「感想」をぶつけたりして、夜通し酒飲んで議論とか……しないのかな。
ま、夜更かしはよくないけどね。
でも、若い時、青春って、ショパンや作曲家たちもそうだけど、元気、パッション、行動力……全部がみなぎってるし、あらゆるものを吸収して、失敗や失恋もするけど……そうやって人間成長していく。
そういう体験ないのかな?
おれな、がっかりするときあるよ、ファミレスのジョイフルに行ったら、高校生が6人集まって座っていた。何するのかと思ったら、全員スマホ見つめて、ゲームやっているだけ。
お互い顔を見て、話しもしない。たまにゲームで点をとったとか、それでわくだけ。
死んでるな。お前ら。
そんな青春で、未来があると思う?
死ぬぞ。
というか、スマホ会社とかゲームのメーカーが悪いんだよ。
悪魔だな。
人間から思考とか、情操教育奪うよな。
そうやって育ったヤマハの音楽教室ぐらいの「エセ英才教育」の子が、東京芸大に行ってもポンコツにしかならんだろ。
うちの内海新聞の読者には、政財界のいろいろな人がいるが、読売交響楽団の人もいる。でも、こどもは東京藝大行かせないでヨーロッパに留学させている。
日本はダメだと言っていた。
情けない。
でも、そうやってモスクワできたえた反田さんでも、バックハウスやリパッティ、ホロヴィッツのような「自分がある」演奏するのかな……と。
とても残念で、がっかりする。
ま、現代で聴いていて「ま、ホロヴィッツの30%ぐらいかな」と思えたのはピョートル=アンデルジェフスキと言うピアニストがいたけど、ヴァージンの会長がいれこんだぐらいで彼のCD聴いていたけど、あの人もどっか消えたよな。よかったけど。
リパッティのバッハ「主よ、人の望みの喜びよ」を超える演奏を聴いたことがない。