理想的な建築は「正倉院」である。756年ごろ建設された。
一見してわかるように「高床」である。今の日本の家屋は悪法の建築基準法によってこのような建物は建てられない。だが、この奈良時代に、日本では中国からの建築技術をもとに「日本の風土=じめじめした」不利な条件にあわせてカスタマイズされ、自然素材だけで完璧な木造建築が行われていた。1265年前の建築がいまもきちんと維持できていることに驚くべきである。今の日本の高層ビル・マンション・家はそこまで持たない。なおかつ、正倉院には多数の高価な天然素材の家具や宝物が収納されていたが、それらも数百年の間、ボロボロにならずきれいな状態で保管できていたのである。
■高床にする理由
日本は中国と違って「雨が多く、湿度も高く、カビやすい」気候である。アジアの熱帯雨林の家は基本高床である。高床にすることで空気が流れ乾燥しやすい。
正倉院の床は「地上から2.5m」の高さになっている。つまり普通の住宅の1F分ぐらいの高さになる。これには意味がある。なぜ?50㎝や1mではないのか?そんなに高くするのか?
私が経験しているところでは「2F以上の高さだと、地上を飛び回る虫が来ない」。つまり防虫と防湿……両方を考慮した結果なのである。
よくそんなことを……現代のようなマシンもコンピューターもない時代に知っていたのか?古代の人は、今の人と違って「肌で科学をしていた」
なので、現代においても「虫」の問題は住宅建築でポイントとなるが、そう……高床の家で建築すれば……いいのである。そうすれば、カビの問題も減る。
今の建築基準法は「ベタ基礎40㎝コンクリートうち、そこに土台の木材を横渡しにおいてボルトで固定」という……「最悪の工法」になっている。
奈良には法隆寺という、これまた数百年地震でも倒れないできれいに残っている五重塔があるわけだが、これを修復保全した日本の宮大工の鏡といわれる「西岡常一」 先生も
「日本のコンクリート土台は、濡れたセメントが乾くのに自然乾燥で100年必要なのに乾きもしないのに木材を載せる。そうすると湿気で土台の木材が腐っていく」とクソぶりを嘆いている。
正倉院も含めて、古代の日本の木造建築は「土台の脚となる柱の部分」を「突き固め」支持層まで固くしめて、さらに「自然の強固な大きな石」をドーンと置いて、太い木の柱(10㎝なんてケチな現代と違って20㎝以上)を立てて載せていた。正倉院の場合土台の柱は直径60㎝のぶっとい丸太を使用している。これが4列10本。40本にて建物を支え強度は問題ない。なお、床面積は33m(横)×9m(奥行き)で297平方メートル。高さは屋根まで14mもあるので今の家で3F建分ある。
こうすることで、耐震性も確保しながら、土台石が地面の雨水や湿気をブロックして柱を腐りにくくしていた。
また屋根のひさしがけっこう長い。こうすることで雨が壁や床にあたらないので常に壁も床も乾いていられた。
すべてがパーフェクトの組み合わせでつくられていたのである。
科学技術の小手先の対応とやっつけ仕事の連発で構築される……現代の家づくりと……ぜんぜん規模も耐久性も違うのである。
■驚異の壁技法「校倉造」(あぜくらづくり)
そう「ログハウス」である。クギやネジ・金具を使わず、木材同士を互い違いに載せて組み上げてあるだけである。「木は木同士で組ませるとひとつの社会となり強力な強度を出して助け支えあう」「木は金属のくぎやネジで固定すると暴れて割れてしまうが、木同士だとお互い柔軟に動いて割れにくく長期間強度を維持し続ける」という特性をうまく利用している。パーフェクトで芸術的ですらある古代の建築家の技法である。
なので、現代においてはログハウスは実は耐震性が高いのである。あれのほうが、ヘボな建売住宅よりよっぽど強い。ただ、ログハウスは自分もあんまり好きじゃないのだけど「木の色ばっかり」になってしまう。でも、正倉院はログハウスほど太くない木材を使って組んでちゃんと強度を出している。図を見るとわかるのだが「丸い木を三角型(いびつな6角形)に切り出すことで1本の丸太から4本以上木材がとれるし「最低限の太さの強固な三角型の木材」で欧米のログハウスみたいに「ぶっとい丸太」でやらずとも、ちゃんと強度と美観の両立を実現している。すごいね。
これからは寒冷化で半地下の家がよくなっていくけど、もし、地上に家を建てる場合は正倉院をお手本にした「高床」「木組みだけ」の家で構築できればベストである。