ショパンの「幻想ポロネーズ」は、どういう意味の曲か?ホロヴィッツの貴重な演奏シーンがあった。弾き方がわかる。でも、この日のピアノはちょっとコンディションが悪い気がした。
「ポロネーズ」はショパンの祖国ポーランドの舞踊曲である。だが、音楽的なベースにはなっているがショパンの曲自体はショパンである。
この幻想ポロネーズは7番であり、普通の人が聞いたら「難しい、どういう意味か?わからない」曲になっている。途中のシーンすらも退屈に感じてしまうかもしれない。
だが、この曲の私の解釈を読めば「とても素晴らしい曲だ」と理解するだろう。
私は音楽を聴くと、その曲の「イメージ」が頭の中を流れる。
■この曲の解釈
この曲は、ショパンが館の暗い部屋で一人でピアノに向いているところで始まる。最初の「ジャランジャーン」というオープニングでは、暗い闇夜に雷鳴がとどろいている。部屋の後ろの扉が「ギー」と音を立てて閉まる。お化け屋敷のようだ。
そして、ショパンは死の道を歩き始める。これまで生きてきた思い出のシーンが走馬灯のように流れていく。そこでベースとなる「タッタカーター」はまさに「死のダンス」「死の舞踏」そのものなのである。
彼の人生の波乱万丈、数々のロマンス、最後の愛人となったジョルジュ=サンドらとの様子……その次にショパンはパリの街の上空を浮いている。眼下に広がるパリの街並み、草原や牧場、豊かな大地……そして、再び部屋に戻っている。
でも、天のお迎えはやってきた。それが「シソー」っていうこの曲に一貫して鐘のように打ち鳴らされる音である。それは時計が定時を告げる「ゴーン、ゴーン」という音みたいなものだ。
運命の扉をたたく音。ベートーベン的なオマージュかな。
そのあと、震えるような寒い旋律が流れ、ぐるぐる回るような旋律のあと
ショパンは息を引き取る。でも、それは「力の解放」だった。
闇からショパンは今、光の渦の中にいる。
肉体のショパンは死んで、魂が遺体から抜け出ていく。
その魂は空中に浮かび上がり、ショパンは仰向けに眠ったまま、どんどん部屋そして屋敷から出てパリの街の上空に仰向けに「回りながら」上がっていく。
その体は軽くなり、高い空に天使の羽のようにらせんのように……そして、最後の音でショパンは肉体から意識の魂に戻り天に召され「光」となって消える……それが、最後の「一音」である。
ショパンは、フラットの音階を好んだ。シューベルトもそうだが、なぜかというと、このフラットの音は「人の声」と同じ高さなのだ。つまり人が話す声を表すときにこの音階はとても人にとって心地よく、穏やかに聴こえる。
このショパンの幻想ポロネーズの楽想を最もよく再現しているのはウラディミール=ホロヴィッツのニューヨークカーネギーホールでの演奏だろう。
このCDに収録されている。
ピアノの弦をまさに、日本舞踊のようにかき鳴らすくだり、遠いフランスでも日本の気迫ある音と共通して聴けることになんか不思議さを感じる。
みんなも、この曲を弾いて最後の一音で息をひきとって成仏して死ねる人生を送ってほしいと思う。