ショパンコンクールも劣化がひどかったけど、コロナでボロボロ、オリンピックでボロボロのこの時代に「よかったのに」と思う結果。だが、マスコミはたいして報道しないよなあ。どういうこと??
■1位のカナダのブルース=リウの受賞はおかしい
ちなみに今回の1位はパリ生まれのカナダのブルース=リウという、中国系の人だったけど、この人の演奏を聴いたんだけど「え?こいつが1位」「ショパンコンクールもまた政治で決めたか?」と感じるぐらい「クソ」な演奏だった。これおかしいな。どう聞いてもリウの演奏は良くなかったよ。
2位の反田さんの演奏が全然、できているよ。他のサードラウンドでの演奏も聴いてみたけど。おかしいな。絶対ショパンコンクールは八百長入ってる。もうダメだわ。私が聴いていた往年のヴィルトゥーゾの演奏には程遠い。中国系カナダ人に1位出して、アジアの日本人は永久に1位にしない……そういう暗黙の了解でもあるのかな。それからモスクワ音楽院だから「ロシア排除」できたか?笑えるわ。
バックハウス、ギーゼキング、リパッティ、ホロヴィッツ……の時代がいいよ。やっぱ
そもそも、自分はショパンのピアノ協奏曲第1番は、あんま好きじゃないので、2番のほうがいいね。2人のファイナルの演奏を聴いてみたよ。
反田さんは、日本人だけど日本でピアノ特訓されたんじゃないんだね。モスクワ音楽院。首席?すごいね。
聴いた瞬間「モスクワだよ」っていう演奏だね。社会主義国の旧ソ連時代からロシアは科学技術はどうしようもなかったが、コンピューターや電子機器が関係ない芸術やスポーツでは常に欧米を凌駕してきた。
モスクワ音楽院の音楽家もそうで、完璧なまでの技巧。その厚みで芸術的表現もちゃんとしてくるので、なかなか手ごわい。
スタニスラフ=ブーニンとか。気持ち悪い「怪物」を産んできた。
ちなみに、ウラディミール=ホロヴィッツはキエフ音楽院だけど、ギレリス、リヒテルもモスクワ音楽院だよ。いずれにせよロシアの大物ピアニストは多い。
反田さんの指をみていたけど、これまでのヤマハや東京芸大の日本の弾き方と違うね。どちらかというとロシア側は、ホロヴィッツの弾き方などを研究して改良している。鍵盤をはげしくたたくのでなく「おさえる」、それゆえちゃんと、響き、豊かな音の出し方をしており、そのメソッドをマスターした反田さんの演奏はパーフェクトに近い。
聴いていて、完全さと安心感があるね。音が豊かだ。
いっぽうで、4位に入った小林愛実さんの演奏も聴いたけど、低音が弱い。あと、音がやせて聴こえてしまう。これは、ヤマハや東京芸大など日本の限界なんだよね。彼女は桐朋音大なので優秀だとは思うけど、聴いていて「残る」ものはなかった。
でも、実は反田さんの演奏を聴いていて「ブーニンかな」と、演奏時の表情も似ているし。
でも、モスクワは上手なんだけど「すげーよな」で終わっちゃうときがあって。
やっぱ、音楽なので「ストーリー」「抒情」ほしいよな。
その辺、ブーニンにせよ「すごいんだけど、自分で何やってるのかわからなくなってるんじゃないか?」って思う時があるんだよね。
うーん、「そのフレーズは何なのか?」って言える演奏になってないときがあるね。
指は回ってるけど。弾くべき「音」を知らずに通り過ぎたりしてしまうことがあるからね。
ただ、反田さんはブーニンの時よりやっぱ進化していると思うよ。
それにしても、日本のピアノトップ界でなければならない、東京芸大や桐朋音大……けっこう差を感じてしまった。
小さく感じちゃったね。狭いというか……
悲しいけど、これって、欧米と日本の教育の違いなんだよ。
ヨーロッパとかは「情操教育」が重視される。人間的な教養とか。
哲学とか、歴史とか、文学でも勉強なんでも好きな「全方位な教養人」を目指す。
でも、日本は遅れているので「公文のテクニシャン」しかやらないでしょ?
何でも、好き、何でもやる……そういうバランスの取れた俺みたいな人間つくらないから。
芸術というのは、神様とつながる作業だ。
宇宙を知り、感じ、自然とそのメッセージに耳をすませて、頭脳の中に広がるスクリーンにどれだけ自分の心や魂を投影し、その指や手で「絵」や「音」で表現するかだ。
その「心のスクリーンに自分のたましいや心を投影する」大事なプロセスを日本の教育はしない。
だから「算数」はできるけど「イチから公式を自分で作り出せる」人間にならないんだ。ロボットばかり生産される。
オリジナリティ、発明が出なくなる。
芸術面でもそれがひどくなっていて、ヤマハの音楽教室がテクニックだけは、やばなしやって、それこそ世間ではストリートミュージシャンだろうが、スタジオミュージシャンは多いけど「魂」「心」が感じられる演奏は……少ないんだよね。
今の世間の日本のバンドも、テクニックはすごいよ。ギターでもドラムでも。でも……肝心の音楽、曲想が……ないんだよ。
本人たちも何がなんだかわからなくなっている演奏や歌……多いよな。
かわいそうだ。
でも、そうはいっても、今の若い人はすごい人は多いよ。
だから、もうちょっと「たましい」「こころ」につながった演奏にすると、きっと、よくなると思う。
■ショパンのピアノ協奏曲第1番、第2番について
それで、コンクールの課題に必ずされるこのショパンのピアノ協奏曲の1番と2番なんだが、なぜ2つ聴いていて、1番はドラマでも映画でも使われるメジャーな曲で人気も高いのに、俺は2番が好きか……なんだけど。
実は、この曲は2番が最初につくられ、1番が後なんだ。発表が入れ替わった。
なので、本当の1番は2番。
このとき、ショパンは20代前半で、はじめてピアノ協奏曲を魂を入れて書いた。
ショパンは、祖国ポーランドで粗末に扱われ、お父さんがポーランドの文部大臣に「息子に奨学金を」を嘆願しても、当時のポーランド政府は冷たくて、それでしかたなくパリに一人送り出した。
苦学したショパンは、それでもパリで恋愛をする。けれど、ショパンは女を見る目がないんだよね。見てくればかりで尻軽の女を好きになった。それも片思いで、相手はショパンをバカにしていた。
結果として、ショパンは片思いの女に捨てられた。心がギザギザにぶっこわれて放心状態の時に書かれたのが2番なのだ。あるいは、また思いがあると思っていたとき、彼女のためにショパンは必死に書いたと思うんだ。ある面「ラブレター」みたいなものだ。
だから、旋律には純粋な青年ショパンの、片思いの女性への切実な気持ちがよく出ている。
男って言うのは激しい恋愛して傷つくと、いい芸術作品を書けるんだ。
その点で今の1番は、もう慣れたから……打算があるわけだ。
素直に自分を表現して素朴につくった2番のほうがいい作品なのだよ。
これは宮崎駿の「風の谷のナウシカ」が最初で最後の名作で、それ以後は「駄作のオンパレード」になったのと同じ。
リュック=ベッソン監督も「ニキータ」が最初で最後の名作で、それ以後は「駄作のオンパレード」になったのと同じ。
みているとね、やっぱ、予算も少ない、生活も困窮。ギリギリの命かけてつくった芸術作品のほうが「光る」よね。
かわいそうだけど、芸術家やるってそういうことさ。
ということで、芸大生や院生の方の参考になればと思う。