武田学校

IQ800の武田校長の頭の中の広大な知的宇宙を一緒に旅するサイト

映画「その日のまえに」

大林宜彦の映画って、たぶん見る人によって評価が全然違うと思う。たいていの人には「だるい」「長い」「わからない」かもしれない。

でも、今まで自分は大林監督の映画を尾道三部作からU-NEXTにあるものだいぶ観てきたのだが「駄作」といえるものがなかった。

世間では「つまらねぇ」「駄作」でこの映画、数分で見るのをやめている人もいるようだが、ちがうんだなあ。

 

多分なんだけど……その人は「読解力」がない。精神的に「情緒」がない人なんだなと思う。

 

つまり、観た人の人間の人間としての出来具合が思い切り試されるのが、大林映画なんだ。

 

心や魂……そういうものがわかる人には、大林さんの映画はよく響くだろう。

でも、欧米のハリウッドやら、ガチャガチャ、ドドドの映画が映画だと思う人にはまるで響かない……そういうことかな。

 

この映画は短編小説を描いたものだね。「廃市」もそうだったけど、大林さんは文学作品を映画化すると味がある映画をつくる。

 

今回は、都会でハイセンスなオフィスで売れっ子デザイナーとして活躍する南原の演ずる夫婦。奥さんは美人で子供も2人育ち、おしゃれなインテリアの家に何一つ不自由ない生活をしている。

 

アトリエの窓から時折見えるマンションの建物が「異人たちとの夏」のマンションのように見えるのは気のせいかな……

 

でも、「人生はトレードオフ」で美人の奥さんは40代なのにあと1年の余命のがんを宣告される。死を悟った奥さんは身辺を整理し「死への旅」を始める。

かつて夫婦が出会い所帯をかまえた、さびれた商店街の街に二人ででかけ、思い出の場所を散策する。

 

家具屋さんで収納棚を買って、ふたりで、大きな包みをえっちらおっちら抱えてアパートに持っていく……若い夫婦だった人には「共同作業」ってあるよね。

なんか……誰もがどこかしらに響く人生のページのひとコマがこの映画にはふんだんに盛り込まれている。

 

うちの両親も田舎から駆け落ちし、東京に出てきて結婚してアパートで住み出したときパイオニアのステレオを買ってアンプやスピーカーをリアカーに載せて新宿だか武蔵野市まで、二人でえっちらおっちら運んだよ……とかよく言っていた。

 

だから、自分にはそういう感覚って……わかるわ。

 

大林さんって映画の中で夫婦を描くとき「二人三脚」「ふたりの共同作業」ってメッセージをいつも入れているんだよね。

 

迎える死への恐怖を振り払うように、ふたりは笑い楽しみながら街を歩く。でもすでに妻は外を出歩いたら、風邪ひとつで死んでしまうぐらい衰弱した状態なのだ。

気が気でない夫。でも、明るくふるまっていく……そのぎこちなさが、たまらないね。

そこでふたりは、もう一人の「死を前にした」男性と遭遇する。

 

妻は夫に笑顔で「あなた恋人ほかにいないよね」「いるなら教えて」

って言う。「わたし死んだらその人と再婚するのかなあ……」

って、笑って言うわけ。その笑いがかえって悲しみを生むよね。

……ズキンときますね。

 

戻ってから妻は病床でどんどん衰弱していく。

 

その光景のなかチェロの音楽を奏でて歌をストリートミュージシャンで歌う、原田夏希が、これまたファンで見にくる柴田理恵との話が織り交ざりだす。……これもまた余命のない病床の人なのだが。

 

こうして、複数の「その日を前に」した人たちの人間模様が交差していく。

その、死へのカルテットを奏でるのが原田夏希というわけだ。

 

最後妻は、家族に見守られて息を引き取る。でも、夫に密かに残した手紙があった。

そこに書かれていたメッセージ……

 

何を最後に遺そうか……さんざん病床で悩んだ妻が遺したのはたった一言だったのだけど。ま、そこで「あれ?」って拍子抜けすることで

悲劇のどん底に突き落とされそうになる観客を……大林監督は「救い出す」のね。

 

でも、その彼女らしい明るさが出す「結論」……夫には一番刺さることばだったのね。

 

そうして、夫は子供たちと花火大会で、霊となった妻と楽しく過ごすのだった……

 

私が大林さんの映画を観ていって感じるのは、大林さんは映画の中で総合芸術を実現しているということなんだ。

つまり、普通の人の映画を「撮る」ではなく、彼の場合映画を「創る」なんだよね。

 

大林さんはクリスチャンでなく神道や仏教の日本人なんだと思う。だから、彼の映画に常に流れるメッセージは「輪廻転生」。

彼はホラー映画はHOUSEとか一部でやったとあるが、これまで私が彼の映画を観てきたら「え?大林さん、構図としては全部ホラー映画だろ」と気づく。

底辺はホラーなんだけど、こわくもないし、どぎつくもないし、気持ち悪くもない。むしろ観た後さわやか、心がジーンと何とも言えない遠赤外線で温かくなる。

 

観終わった後、何日も走馬灯のように大林さんの映画のシーンが夢や日常生活のふと心を静かにしたときに思いだされるんだよね。

 

つまり、大林さんって実は自分の映画を観る人の一人一人の人の「心のスクリーン」に映画を映しているのだよ。そういう映画なんです。

 

そこに、久石譲の音楽がまたよく合ってるんだよね。やっぱ久石譲が音楽やった大林映画のほうが、別の音楽家を使った時とは違う。

 

今回も140分の大作だが、やっぱずっと観ちゃうんだよね。

主演はお笑いのウッチャンナンチャンの南原。それにアコムのCMの永作博美

冒頭からのシーンでは、南原も永作も「はずしたな」ぐらいヘタクソな演技に見えてしまい、すべてのセリフが空回りしている感じがしてしまった。

なので、多分ここだけなら見るのをやめちゃうかもしれない。

ところが、観ていくと、徐々に南原も永作も「演技が成長していく」んだよ。最後にはすっかり「よかったな」という感じになっていた。

 

音楽はテーマにクラムボンという人のチェロ、これまた大林さんが好きな美人の原田夏希の声と共にカルテットの歌として流れるんだけど、これが「ふたり」の時に流れた「草の想い」みたいにはまってて、チェロの旋律が、あとで、あとで……どんどんスクリーンや観ている人の魂のなかで響く。

チェロは人の声と同じように聴こえるからたまらないね。寒さ、哀愁……そこに響くよね。

 

妻は部屋の壁を一面、空のブルーに塗る。そこに冒頭南原が書いていたキャッチコピーの「ひこうき雲」が描かれる。

 

思わず、荒井由実の「ひこうき雲」が流れたら完璧泣くわな……と思ったが……それはなかった。

 

最後の花火大会が長岡の映画の再来かなと思ってしまった。

 

それで、映画の中で、ちょっと違和感感じちゃう気持ち悪い形相の駅長の青年のシーンが何度か差し込まれる。

なんだろうね?せっかくの泣いていたい時に、ちゃちゃ入れる。

その大林さんの意図考えていてね……彼は、この映画を完全に泣くだけの映画にしたくないんだな……って。

だって、マジメに描いたら、みんな死んじゃう……みんな自分の死への恐怖に感情移入でこわくなってこの映画が真の意味で本当にホラーになってしまう。

たぶん自分自身が一番、作っていて……こわくなったのかもしれないね。

 

だからこそ「まあまあ、そんなに深刻になるなよ」って、

彼は「トントン」ってあなたの肩をたたくために、あの青年のシーン入れるんだろうな……と。

 

結局、途中からなんか涙が幾度もこみ上げてしまう映画でしたね。何も明確に言うわけでもないのに……一緒に見てた妻なんか泣いてばかりでした。

 

さて、この映画を観たみなさんは……どう感じるでしょうか……。