武田学校

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人生のトラップ「14【学部学科の選び方】」

私の読者には、中高生もいます。以前開成高校の生徒も読んでいて驚きました。たまにはマジメな話をしておきます。キミたちに役に立つでしょう。進路で「いったいどういう大学や学部、学科を志望すればいいのか?」という話です。

 

実は私の読者には「小中高の先生」も結構います。もちろん大学の教授もいます。私も小中学生の時は「将来どういう大学に行けばいいのか?」わからなかったです。

 

■学校の先生は進路指導はできない

そして、残念ながらあなたの目の前にいる学校の先生は「あなたの進路指導はできない」んです。そのためのスキルも経験もあるようでないんです。

でも、そんな人たちが中高生の進路を指導している。とても無責任なんです。

結果として、学校の先生がやれるのは「あなたの学力偏差値はいくつだから、この学校には行ける」ぐらいです。予備校や塾の先生も同じです。

 

■親も進路指導はできない

 私の読者には多数の「子供をもつ親」がいます。みなさん富裕層もいればサラリーマン、自営業、医師や弁護士や農家や漁師……でも、そういうあなたの親も「あなたがどういう大学や学部、学科を選考したらいいのか?」適切にアドバイスや指示もできません。

 

■「学問の構造」をわかっていない人が圧倒的に多い

 世間では「文系」「理系」という言い方をして、単純に学問、学科、専攻を分ける傾向があります。でも、そういうことの「根本」を考える人はいないのです。

 

 京都大学の哲学研究会に行っていたとき、その本質を自分なりに考えたのです。その結果できたのがこの図です。各学問の基本とそれを構成・支える根源的な学問が何か?……を「その要素が含まれる」順に構造化してみたのです。そうしたらこうなりました。

私が考えた学問の構造図

この図の見方ですが、たとえば「医学」って何?その根底を支える「基礎」の学問は左の科目群です。

医学は「生物学」が土台にあります。でもその生物学は、さらに細胞構成するたんぱく質などの高分子の要素が土台になっています。

高分子の要素を扱うのは「生化学」です。

そして、「生化学」は中学や高校でみなさんがやる「化学」が土台にあります。

では「化学」は?その原子や分子構造を解き明かす「物理学」が根底にあります。

でも、その「物理学」は「数学」で記述されて、公式やモデルが表現されコンピューターシミュレーションなどしますので「物理学」の土台にあるのは「数学」なのです。

そして「数学」の世界は「形而上学(けいじじょうがく)」という人間の思考になります。目に見えない部分です。目に見える部分(観測した事実)を扱うのが物理学です。

「数学」の世界は自分の思考なので、物理学より大きな範囲外の世界も「考えたり」「描いたり」できます。このことは「人間の思考は現実世界を超えている」ことがおのずと導ける解だということも示唆しています。

 

さらに「数学」を根底で支えているのは「定理」「証明」をつかさどる「論理学」です。そして、「論理学」は人間の思考なので「哲学」から生まれます。

 

でも「哲学」を記述するのは「ことば」「言語」です。だから哲学の根底がさらにあって、それは「言語学」ということになります。

 

こういうふうにとらえると「あなたが軽い気持ちで応用学問を指向するのは、その土台になっている学問をどれだけ学んで理解しているのか?」という大きな問題に突き当たるんですね。

 

そして、私の図は文系と理系の関係も表しています。

いわゆる「文系学問」というのは「医学」で記述される個々の人体の「集合」から生まれるものです。人間の実物が動き回ることでその挙動・行動原理を解明する「心理学」さらに個々の人間が集まった集合体の「社会」の挙動を考えるのが「社会学」、社会の中で生まれるのが「文学」ですね。

 

ちなみに「法学」「経済学」「政治学」「経営学」はこの図のどの部分に位置するか?考えてみて下さい。

簡単に言ってしまったけど、けっこう頭痛くなると思います。

 

なので世間の人って「算数や数学が嫌いだから文系行く」という単純発想の人が圧倒的に多いんです。でも、私からすると「文学」とか「社会学」「心理学」をやるほうが「難しいことをする」と思います。

ロクに基礎の学問ができていない人がそういう方面にノリだけで顔を突っ込んだら……どうなるか?わかりますよね。

ポンコツな文系学者」が多い「非論理的な幼稚な人」がテレビのコメンテーターで自称文系学者で多いのは……そういうことです。

根底の学問をちゃんと勉強していないで「やったつもり」の人が圧倒的に多いということです。

 

■東大卒の研究員の先生に言われたこと

 以前、シンクタンクで仕事をしていたとき、研究員の人と毎日資料作成を行っていました。大手出版社の編集者の人や東大出身で研究職をしていたMさんでした。Mさんは老人の方でしたが「M先生」とみんなに呼ばれていました。

 

 まだ20代だった私は、当時放送大学に通いながら勤労学生で勉強していました。それでMさんに聞いたのです。

「大学で学科とか何を専攻したらいいでしょうか?今流行の境界領域とかいいな……と。」

Mさんは、私を見て言いました。

「内海さん、いや、もっとそんなんじゃなくて、オーソドックスな基本の学問からしたほうがいいと思う。」

実はこれと同じことをおっしゃっていた人がいて、西澤潤一氏です。東北大の電気工学博士で光伝送技術や半導体の研究でアメリカの学会にも功績を表彰されその後、東北大の総長もされました。

彼も著書で

「学生は化学や物理や電気にせよ基本的な学科を大学で専攻・十分勉強すべきで、そこも満足に勉強していない人が、流行だけで今の大学の境界領域に首を突っ込んだらポンコツになる」って警告していました。

これって深くて。

私は裏千家の茶道を17歳から始めたのですが、そこでも同じようなことを言われた記憶があります。茶道ではおけいこのお点前を、頭がいい人はどんどんやって「許状」を取っていきます。軍隊で言うと「軍曹、少佐……」みたいな階級ですけど。

でも、それは、先生が弟子からの申し出に対して「いいよ」って認めないと進めないです。

女の人ではどんどん取っていく人も多いんですが、自分は3年経っても、スタート時点のままです。いや、これさすがにダメかな……って思って、弟子の人に言ったら

「いや、それはおかしいことではないです。昔は一つの※点前(てまえ)で10年ぐらい同じことさせても普通でしたので」※お茶の稽古の技法やメソッドの単位

そうね、単に「覚えた」「できた」と思い込んでも、本当にその技術やメソッドが自分の身についているかは……別です。

これは、大工さんとか職人・技術者の世界でも同じですけどね。

でも、今は、公文だろうが「メソッド、マニュアル全盛」なので。その最たるものが「塾・予備校」ですね。

 

そういうところ学んで一見、わかったようで……わかっていない。そういうレベルで皆さん、学問を進めるわけです。

そうやって「わかっていない基礎」の上に、いくら高度な応用分野を積み重ねても「土台が危ういのでいずれ崩れてしまう」ということです。

 

こういうこと言って「はっ」と気づいて自戒する人がどれだけいるのでしょうか?

自戒できなかったら……その人は「いずれ天井や行き詰る」と思います。

 

■小中高生で本当にすべき学問は

 こうしてみると、小中高生で本当にすべき学問は「言語学」すなわち「読み書き」です。ある程度はやっていますけど、詰めてやっているかな?

そのうえで「哲学」を小中高生でやるべきだし、さらに「論理学」もすべきです。

見ているとほとんどやっていません。

これでは、頭があやふやなまま、上の学問を積み上げてもダメになるのはわかっています。

 

ですので、勉強がわからない、できない人は「読み書き」「哲学」「論理学」の順に進んで勉強し直すと「頭の回路」が明晰になり、勉強ができるようになります。

また、人生の生き方もわかるようになります。

 

無理して「評価や目が見える、学科教育」に先生方や親も目が行きがちですけど、本当は人間として大事な根源的な学問をじっくり、その子が達成できるまでやってあげることがその子の未来、成長のために一番いいことだと思います。