武田学校

IQ800の武田校長の頭の中の広大な知的宇宙を一緒に旅するサイト

未来は変えられるか?

妻に「あなたの予言とか、S神託がどんどん成就する。変えられないのかしら?」

と言われた。

S神託は2015年の前に、私の弟子の一人だった超能力者が瀬戸内で神託がおりてそれを書き留めたものである。それ以来、私はその内容が現実化する日に備えてサバイバル準備をすすめてきた。

 

S神託では「凶事」が起きる。それが戦争なのか大地震なのかはわからないけど、その前に変な事件、世相の悪化が起きる。実際そうなって、今年になって第三次世界大戦や東南海トラフ地震の危機が現実化しそうになっている。

 

国民の知性、意識は戦後70年以上たってどんどん低下しており、モラルも低いし、頭も悪い人が増えてしまった。

かつての日本人みたいな清潔で親切で、道徳の人は大幅に減った。

これから、動物みたいな、獣みたいな人が大都市にはあふれ、略奪や暴行が横行する悲惨な世の中になる……それがS神託の骨子だった。

 

さて、そういう未来は変えられるのだろうか?

私は少し考えがある。

 

実は、私の地震予測にせよ「外れる」ことがある。

なぜかというと、私が言うことで、世に広めることで、みんなの意識が変わるからだ。

人間の見ている世界、感じている世界は「自分たちの形而上学」の世界である。

本当の現実は何か?客観的という言葉があっても、科学的な観測があっても、本当に正しいわけでもない。

誤差もあるし、絶対はあるようでない。絶対があると「想像」してそれは神様ぐらいになる。

 

つまり、われわれ人間というものを「粒子」と考えるなら「粒ひとつひとつの意識が変わると」「物事の認識集合が変わる」わけで、未来が変わる可能性がある。

 

たとえば、私が東南海トラフがくるぞ……ってワーワー言うと、みんなが無意識だった事象について関心をもち目がそちらに向くようになる。

すると、大地震で人が多数死ぬ未来が「変更」されるということである。

 

その点で、私がきつい事、途方もない破局を言うのは「そうならぬように、みなに気づいてもらう」ためなのである。

 

けれど、みんながそれを無視し、話もきかず、遊びほうけていたら「本当にそれはなる」ということだ。

 

昨日ふと思ったのは「我々の未来、というか、人類のすべての想念、知識は未開ではなく、すでにこの宇宙にあらかじめ存在しているのではないか?」ということだ。

つまり、我々の時空はいくつもあり、我々はその時空を選択できるということだ。いくつもの未来のシーン、シナリオがあり、それを選ぶことができる。

 

人類が崩壊する未来、人類が繁栄する未来も選べるかもしれない。

 

科学の知見も、すでにこの宇宙には存在しており、単純にわれわれがそれを見つけていないだけだと考える方が自然だろう。

すると「発明」というもの、新しい科学法則すら「巨大な宇宙というデータベースの検索のひとつ」でしかないということだ。

 

わかりやすくいうなら、グーグルがそうだろう?検索エンジンのサーバーには私たちの60億の人間の言葉やキーワードが多数詰め込まれ、動画や音声なども入っている。

AIは検索はできるが「創造」はできない。なぜなら、常に「既存知識」を検索するだけだからだ。

母集団の記憶が巨大だと、人間一人よりは得られる情報量や密度は高いのでAIが優位なのはそこだけである。

まったく未知のものを創造したりすることはAIはできない。

 

そう考えると、宇宙人だろうが、異種生物だろうが、あらゆる生命体も宇宙には既に存在しており、我々はそれに会っていないだけである。

 

その巨大な意識や知識がつまっている「球」が宇宙なのかもしれない。

 

なので、我々の意識は、一人一人別にあるように見えても、根底ではつながっているかもしれないね。

 

だったら、個々人の意識を変えればその集合体の人類は違う未来を選択できる。

 

なんか、つまらない原点に戻りそうだが……結論だろうね。

 

みなさんが、平和で穏やかで、自然と対話する生き方、暮らし方をイメージして実行すれば、この世から戦争も公害もなくなる。

 

そういうことだね。

ただ、その一人一人の意識を変えていく作業が、とてつもなく難しいのだけど。

 

私が12歳で、戦争と公害のない社会をつくろうと決心した時、今と同じ問題に直面した。自分が政治家や議員になれば変えられるだろうか?でも、それでは世界的なメジャーや金融資本が牛耳る、支配層が根底にある「巨大なムーブメント」を変えることはできないだろう。と思った。

 

どうしたら、世の中を変えられるのだろう?と小学生の私は毎日考えた。

そこで私が考えたのは「大きな波、大きな底辺を変える」ことだった。

人々の意識、世論、考えを変えていくことが最終的に世の中をよくしていける。

 

そうして、1996年、25歳の時、私は内海新聞を発信した。

たったの11通だった。

それが、おととし、まぐまぐにつぶされるまでは8000部になっていた。

あと、1桁、2桁多くなれば、変わるかもね。

 

でも、今でもYouTubeの動画でも10万アクセスになるときもあるから

10万人みているし

チャンネルも3万人ぐらいいるわけだから、3万人見ているだけでも

違うとは思う。

なので、私がやってきたことは間違ってないし、あと残された自分の余命をどれだけ

使えるかわからないけど、やっていくだけだ。

 

未来を変えられるかな?