ここのところ家にいるしかないので映画を見る。
「Wの悲劇」を妻が観たいというので、観た。
主題歌の「WOMAN」。薬師丸ひろ子が歌っている。
自分は角川書店にいたが、実は角川映画は「野生の証明」「戦国自衛隊」ぐらいしか観ていなかった。
なので、その時の薬師丸ひろ子しか記憶にないんだ。
ただ、薬師丸ひろ子の歌う「WOMAN」って、女の人にすごく人気がある歌だと思う。
自分が聴いていても、そうだね、昭和46年に生まれた自分が育った間で聴いて、昭和の大歌手っていっぱいいるんだけど「この人すごいな」と思う歌手の一人が、薬師丸ひろ子で、後半の時代で「あーあ、惜しかったな。すごいのに残念」なのが華原朋美である。
この2人の何がすごいかというと「自分自身が楽器」になるような「澄んだ心や魂を突き刺して揺さぶるような切れ味のいい響きの声を出せる」ことだね。
その点、薬師丸ひろ子は子役でスタートしたからあとはダメかな……と思ったけど、歌姫としてもずば抜けているし、今回「Wの悲劇」を見たら女優としてもよかったんだねと気づいたよ。
あと、人って「年齢」で「感じ方考え方」変わっていくね。私が10代、20代のころ「いいな」と思っていたもの、逆に50代で「へー、よかったんだ」って気づいたもの。ある。
10代、20代のころは「たいしたことないな」と思っていた、サザンオールスターズの他の曲も何気なく聴くと「あ、桑田の歌って時代が変わっても古さなく聴けていいなあ」と思った。
でも、自分がいた昭和の歌謡曲やニューミュージックにせよ「乱造」「レンジの狭いリミックスの音源」「チャカポコ打ち込みシンセ音楽」も多いので、うんざりしていたけど、それすらも今聞いていると「70年代、80年代の歌って、イケイケ、明るくて、真っすぐでいいよなあ。男は度胸、女は愛嬌な時代だった。今の平成、令和の若い人はウジウジ委縮していて、かわいそうだな」と思う。
確かに、今はVFX、CG、デジタル音源すべてが昭和の比でないレベルとクオリティだ。テレビの解像度は映画と同じぐらいになっている。でもできる映画は、稚拙だった昭和のころより「格段につまらない」「見ていて通り過ぎるだけ」の映画になっている。
「何度も観たいな」「また観たいな」と思うできになっていない。
俳優も「小物」しかいない。昨日も評したけど「今は佐藤浩市ぐらいしか、そこそこできる人はいないけど、昭和の時代だと、あれすら脇役の一人だ。もっと主役になる大物がいっぱいいて、個性がそれぞれあって、THE俳優……尊敬、賛美できる人がいっぱいいたのに……みんな死んでしまった。残った脇役が年齢とって仕方なく大物扱いになるしかなかった」
歌手みても、美空ひばりみたいに国民全員にワーワー賛美される人もいれば、演歌だって石川さゆり、八代亜紀だろうが、何人も大物がいたし、アイドル・ニューミュージックでも、岩崎宏美、山口百恵、中森明菜、五輪真弓、松任谷由美、山下達郎、バンドもアリス、アルフィー、安全地帯、サザンオールスターズ、チェッカーズやら、レベッカ、米米クラブ……書ききれない。
今、ずっと聴く気がする曲はないよなあ。「チャカチャカ、ドドドド」で嵐のようにかき鳴らして、確かにみなさん、バンドもボーカルも、難しい歌い方で歌うよ。すごいよ。音楽ミュージシャンとしてのテクは昔より上手だよ。
でもな、どの曲も聴いていると「これ、ヤマハの音楽教室のスタジオミュージシャンばかりだよな」という感じなんだ。
「すごく、鳴らしているんだけど、聴いた後、残らないんだよ」
スーパーフライとか、鬼滅の刃の主題歌とか……ガチャガチャすごいけど「あれ?」「歌詞もなんだよ?って感じの抒情とか情緒もない意味がない言葉を言うだけで」
あー、意外だったけど、エヴァンゲリオンの「残酷な天使のテーゼ」は歌詞はいいよ。
あと、残らない。湘南乃風も悪くないが「すごいね」で終わっちゃう。
これが……今の音楽の残念なところだね。
最近、クルマのステレオで音楽きくとき、突っ込んであるCDから稲垣潤一の曲が流れる。でも、この曲もそもそも稲垣潤一という歌手の名前も知らなかったけど「さよーなら、いうなら……」というフレーズの、稲垣潤一の声が、きつくもなく、せかすこともなく甘いけど、つやのある響く声に「なんかいいよね」「ホッとするよね」と思うわけだ。中学生の時もこういう曲は街中で流れていたけど興味なかった。
だから、人って年とともに変わるんだね……と思ったよ。
芸能人って、子役だと、あとはパッとしなくて終わる……というのが定番なんだけど。薬師丸ひろ子はまれな生き残りだね。今見ても悪くなってない。
1970年代、80年代全盛だった角川書店の角川春樹は事件ばかり起こして問題児だったけど、薬師丸ひろ子や原田知世など大ヒットのアイドルを発掘する点ではすごかったね。
角川映画も春樹が監督したものはタコだけど、他人にやらせたものは見れるものはあるよ。
なので、Wの悲劇、自分は中身も知らず、50歳になって今ごろ初めて見たわけ。
この時代の映画のいいところは「映画のために脚本が書かれる」ことだね。
今は「小説原作、漫画原作があって映画に焼き直す」だろ。
これ、出版社のビジネスモデルでやったこと。皮肉なことにこのアイデアを世に広めたのが角川映画だったの。角川書店の小説原作をもとに映画化して「読んでから見るか、見てから読むか」のキャッチコピーで成功した。春樹の案かな?そういう点では彼は才能ある。
でも、これは夏木静子の原作小説「Wの悲劇」を、映画のオリジナルストーリーの中の演劇材料として使って、主人公が劇中劇をやるという、変わった展開なのね。
映画の中で劇をやる。でも、この劇自体の演出もしっかりしているから迫力あるんだよ。
映画自体は劇団員、女優の「枕営業なんて当たり前」の世界が描かれる。ドロドロした愛憎劇。
清純だった子役の薬師丸ひろ子が冒頭から枕営業の一環でベッドシーンとは仰天だが。
ま、ようするに「駆け出しの劇団の女優のタマゴが生きて主役を取れるまでになるってこういうこと」って、男性ファンからしたら「がっかり」するような現実が淡々と描かれる。
これ見たら、芸能界が何もきれいな場所でないことはうんざり理解する。
そして、やっぱ、こういう生き方をしないと女優やアイドルの頂点には上り詰められないし、仕事もポストもない。
今の時代だと、明らかに「セクハラ」で糾弾されて終わるわ(汗)
変な意味、昭和はめちゃくちゃ(笑)
でも、逆にこれがフィクションの世界だから許されるわけだよね。
映画では戦争や死、殺人、暴力、変なストーリーも多いけど、ホラー映画は自分は嫌いだが、まあ、虚構の中でなら、死も戦争も、殺人も他人事として見られる面はある。
それで、自分の人生の糧や気づきになるなら……ということだろね。
本当は、神様の世界みたいに、光に満ちて、花が咲き乱れる、平和な世界を描いたほうがいいのかもしれないけど……そういう映画は退屈でウケないわけ。
思い切り、ふざけたり、暴れたり、死んじゃったり、悲惨なほど「いい映画だ」となる。
どうだろね?あなたはどう思う?
さて、昭和の映画を見ていて思ったのは「この時代はショットがいいよね」と思う。
やっぱ、映画を撮るというのはすごく、大変でお金も手間もかかる。
なので、この時代は真剣勝負なんだよね。撮り直しは大被害。
だって、今みたいにハードディスクやメモリーで何度でも撮り直しができないから。
フィルムは持って帰って現像するまでわからない。その現像と編集も恐ろしい手間がかかる。
現場のストレスはハンパじゃないだろう。
人間って極限の状態の時に本当の力が出る。だから制約や過酷な条件でつくられた映画のほうがいい出来になることが多いね。
あと、役者の演技がスパッとしている。だからシーンに見ていて違和感がない。
今の映画やドラマは「リアルすぎて」「なんかビデオ撮影の一環」みたいな映像が多すぎる。
色調、空気感……多少解像度が落ちても「絵として見られる」ほうがいい。
それが、フィルム映画全盛のこのころにはあるんだよね。
特殊効果は現代からすれば悲惨なできでも、肝心の映画のストーリーや演出はいい。
むしろ、映画のために脚本を書いて映画として作った方がやっぱ見ていていいね。
で、最後のシーンで、薬師丸ひろ子は思いを寄せて刺されてまで自分を守ってくれた彼氏と別れ女優で生きていくことを選ぶわけね。
でも、その時、この「WOMAN」が流れだす。
「もう、いーかないでー、そばーにいて、まどのー」
映画のラストシーンのクレジットで薬師丸ひろ子の澄んで張りのある声で、このフレーズが響くと「どひゃって涙」出ちゃうんだよね。
単純なのにいい演出だよ。
男と一緒になることを切って、背を向けて歩いていく女。
「でも…本当は違うのよ」……という、男からすると「わからねぇよ」「なんなんだよ」……という「女心」ね。
これが、よく出ているんだよね。
だから「WOMAN」って曲は、女の人にとっては、すごく響く曲なんだよ。
男にはあんま、よさがわからないかもしれない。
なので、上映当時は、このラストで泣き出す女性が多かったそうだ。